夕暮れと夜明けが好きだ。
あの刻々とじんわりと空の色が変化していくのを見ていると、地球って宇宙の一部なんだなあと実感する。
あと一ヶ月半ほどで夏時間に戻るフランス。今の時期の太陽の動きは、日本の春のものに近いような気がする。 つまり、「夕方」がある。 夏時間になってしまうと、いつまでたっても日が暮れず、夜の9時半ごろにこの夕暮れ的な空をほんのわずかばかり見せて日は落ちる。時間的には夕方とはいえない。
日本語を教えていたとき、「夕方って何?」と聞かれて、そういえば、夕方にジャストフィットなフラ語ってないなぁと気がついた。夜の7時くらいまでは、平気でaprès-midi(午後)とかfin d'après-midi(午後の終わりごろ)とか言うから、夕方という時間帯の感覚がないのかもしれない。
夕暮れを示すフラ語はどれも好き。
crépuscule
entre chien et loup
la nuit tombante
crépuscule は ラテン語のcrepusculus(疑わしいという意味)から来ていて、夜明けの薄暗さを表すこともあります。 entre chien et loupは、そのまま、「犬と狼の間」。 la nuit tombanteも、「夜が落ちてくる」状態。
わたしは木も山も日本のものが好き。 でもヨーロッパの青空だけは日本では決して見られない美しさを持っていると思う。アイルランドの空にはため息が出た。 この空を描きたくなるだろうな、だからたくさんの画家が生まれたんだろうな、と空を見上げる度いつも思う。
ほんのり夕暮れを感じるこのごろ、まだ寒いけれど、わたしの芯は 春をもう感じている。


12月は課題やスピーチの準備で忙しかったので、2週間ほどお休みをしていたバイト。久しぶりに復帰したのだけれど、これが今年の働き納めになった。
バベさんの奥さんは手先を動かすことが好きな人で、暇さえあれば洋服を作っている。この前はエルメスに行くというから、さすがマダムは行く店が違いますな、と思ったら、「スカーフを作ろうと思うんだけど、去年ウィンドウで見かけたおもしろい形のエルメスのやつを参考にするためのリサーチ」だったり。
わたしが彼らの家に週一回のお掃除人として働きに行くようになるちょっと前に、ポーセリンの絵付け講座を始めたらしく、たまに下絵や焼きを入れる前の乾かしているお皿なんかがサロンに置いてあったりした。
初期の作品は小さなものが多かったけれど、今は、貝型の大きなお皿に、うねる波をすれすれに飛ぶかもめとか、大きな丸皿に幻想的なお城とか、どんどん大作になってきている。
中でもわたしが気に入って、掃除機をかけたり戸棚を磨いたりしている間にいつも眺めていたのがこの小さなお皿。
筆先はまだ慣れておらず心もとない感じだけれど、素朴。火の鳥の赤ちゃんみたいな燃えるような羽と、首の青さがなんとも気持ちがいい。
奥さんはわたしがこのお皿を特別に気に入っているのを知っていたらしく、今日わたしを食堂に呼ぶと、お皿を包んでくれた。
「マリはいっつもこのお皿を眺めていたの知っているのよ」と、にやりとすると、「だから、あげます。ノエルのプレゼント。」
実は、バイトを止める時には思い出に譲ってもらえないかどうか聞こうと考えていた位、このお皿のことを思いつめて(!)いたので、ちょっとびっくりした。
プレゼントに一番必要な要素って、「思いがけなさ」なんじゃないかな、とふと思いました。「くるぞくるぞ」と思っているときに、期待していたものと違うものが来たりすると、ありがたいやらありがたくないやら、と途方に
暮れたりするけれど、全く予期していないときに何かを貰った時、それがたとえポストカード一枚でも嬉しくなったりするんだろうな。。。
そう考えると、クリスマスにプレゼントとか、バレンタインにチョコとかって、わかりきっているだけに難しい。
バベさんの奥さんは夏に手術をしたりして、体調があまり芳しくない。
どうぞ元気でいてください。
フランスに住むようになってから、パリには大体休みのたびに行っていたのだけれど、ここ1年行っていない。ので、恨みを込めてエッフェル塔から見えるパリの空。
昨日最後の試験前の試験を終えて、無事冬休みに突入。あふぇー。
PIANO PIANO...CHI VA PIANO VA SANO... CHI VA SANO VA LONTANO....................
「祭り」のあと、あなたは誰を思う?