メルトダウン

GWにぷらぷらしていたのでバチがあたったらしく、口唇ヘルペスに感染してしまった。どくだみ先生の所に駆け込んだら、抗ウィルス薬と漢方薬を処方され、更に「針をやる」というので、鍼灸だと思いきや、長さ2ミリ程の針を両手の甲親指と人差し指の間それぞれと、首と口元に刺されて上から思いっきりテーピングする。

「あのー・・・これはいつまで刺さったままなんでしょうか・・・」

「うーん、ま、金曜日位までだな」

そんなわけで、大学では首をねじる度に刺さっている針が微妙に刺さって(日本語がおかしいですが、他に表現しようがない)板書の度に「アタタ」と言いながら授業をするというていたらくだった。 せっかく抜き打ち小テスト(といっても、短期の暗記でどれくらい記憶が抜け落ちているのかを実体験してもらうためで、成績には関係ない)をやろうと思っていたのに、でっかいマスクをかけていると愛嬌が70%位落ちてしまい、そんな姿で「抜き打ち~」などと言えば学生からは恨まれ、名前を書いた人形に針をさされてしまったりしたらたまらんと敢えなく断念。生徒達は「我、まさに脳細胞活性化中なり」と言わんばかりに「Je suis japonais」などと覚えたフレーズをいそいそと唱えてくれたので、信用することにする。

そんな状態で、駐日フランス領事のマルタン氏が来られて講演をするのでその通訳をしてくれと頼まれる。 通常は、講演の通訳って事前に原稿が来るものだと思うのだけれど(と、考えるのは甘いか)、当日ぎりぎりまで待っても原稿は届かず、結局事前のブリーフィングのみの同時通訳状態で行わなければならないことに。

しかもテーマは原発・・・ しかし、マルタン領事はその物腰の柔らかさ、丁寧さが本当に温かく、威厳がありながらちっとも威張っていないという良い印象・思い出しかないし、連日地震関連で疲れもピーク、体調も思わしくない中新潟・仙台を訪問というので、こんな地方の(というと失礼だが、まあいいや理事だからあえて言おう)小さな協会の為に講演をしてくれるのだからわがままは言えない。 仕方なく、ざっと原発関連のニュースやら専門用語やらを集めて予習したものの、不安は残る。 当日待ち合わせの場所へ向かうと、領事はにこやかに 「Ah, mademoiselle, je suis très heureux de vous revoir ! (ああ、あなたにまたお会いできて嬉しいですよ)」 と手を差し出して下さり、「えー、以前お会いしたことがありまして」などと説明を考えていたので拍子抜けしたのと、覚えて下さったことに嬉しくなってしまい、咄嗟に言葉が消えて口の中でもごもごと挨拶をするだけになってしまった。ロスト・イン・トランスレーション。違うか。

考えてみれば、会って早々「領事はご結婚されていますか」などとうっかり勘違いして尋ねるようなまぬけな通訳は他にはいないだろうから、あるいは印象に残っていたのかもしれない。 しばらく会長・事務局長とのやりとりを通訳し(この辺りは快調だったのだが、振り返ってみるとここらへんが既に能力のピークだった)、その後講演の打ち合わせを行う。 ここで、悪い予感が当たった。

「僕の持ち時間は40分くらいだから、半分講演にして、あとは質問コーナーにするよ。質疑応答の方がやり易いから好きなんだ。」

やはり・・・ 通訳にとってこの質疑応答ほどやっかいなものはない。 台本なしの不安というより、こういう時手を挙げる質問者というのは、国籍問わず、大概「質問」と「感想」の区別がついていない方だったりする。それに、人前で意見を述べる時というのは只でさえ緊張したり興奮したりして普段よりも伝わりにくく、本人は「いってやった!」感に恍惚となって着席するが、通訳はその感情のほとばしりの中から適当な文脈を抽出(というより、ほぼイタコ的能力で察知)して的確な質問をこさえなければならない。しかも、今回のテーマはとても微妙で難しい「原発」。 と、そこへフランス人G氏がかなりラフな様子で登場。話の流れから、彼が質疑の日仏訳をしてくれることになった。私は応答の仏日訳をすればよい。あ~だいぶ気が軽くなった。

「で、今日のテーマってなんなの?」

「原発。」

「・・・・。」

今更やめたとは言わさんぞよ。 領事はスピーチで使う用語や話題を教えてくれ、現場で私があたふたしないように最大限の配慮をして下さった。 のですが・・・ 会場設備は講演者のことを何も考えていないのか、ステージには「漫才お願いします」と言わんばかりにマイクがいっぽん無機質に突っ立っている。領事はステージに乗ったものの困惑。あわてて講演用のテーブルやらマイクやらを用意してもらい、通訳用のマイクと、用途不明かつ中途半端な高さのテーブルをがたごとと設置している途中で領事はスピーチを始められ、完全に乗り遅れた頭は空っぽになってしまった。 その後も、ちょっと気を緩ませるとぼんやりしてしまい、領事に発言を繰り返してもらうという、相手がこの方でなければ多分大目玉を喰らうであろうそれは酷い出来でした。

「実際に始まると、力(本来持っている仏語力・日本語力)はがくーんと落ちるからね」

というG氏の呪いの言葉(!)が甦る・・・。 おっしゃる通りでございます。 だいたい、米原万里の著書を読んで以来、気を使い過ぎて早死にするに違いない(という思い込み)から通訳にはぜったいなりたくないと思ってたんだい。得意げに下ネタや親父ギャグや差別発言を繰り返すクライアント(※領事は当てはまらない)に殺意を抱く位、心身を摩耗する大変な職業なんだって。 などという言い訳が心の中で泡のようにふつふつ沸き上がって来る中で、ツギハギ通訳は終了。いよいよ恐怖の質疑応答タイム。 司会が指名した女性がマイクを手に発言を始めるのと同時に、ステージに一番近い席に座っている男性がやおら語り始め、かぶっていることに気が付かない。

Ca commence bien...(ハジマッタ・・・[先が思いやられる])と戸惑っていると、マイクで話していた女性が、気を利かせて男性に「先に質問されますか」と親切にマイクを持って来てくださり、一同ほっとする。男性は身振りを加える度に空いている右手を使わずマイクを持った左手を勢い良く動かすので、その度にF1レースの物まねのように声が遠くへ消えてしまう。もう、わたしは何に集中していいかわからなくなってしまい、ああ、「Verba volant scripta manent (ウエルバ・ウォラント・スクリプタ・マネント、ことばは飛び去る、書かれた文字は残る)」と言った古代ローマのひとは偉いなぁなどとふわふわ考えていた。 こ

こで登場のG氏は、質問者のおっそろしく長い発言を猛烈なスピードで領事に耳打ちし、領事はうんうんとうなずくと的確な返答をする。G氏の説明は聞こえないが、領事の返答から非常に素晴らしい要約をしているのだというのがわかる。これだよな。この能力こそが、語学で磨かれる力だよ。この力が欲しい・・・欲しいが通訳で早死にする(と、決めてかかっている)のは嫌だ。 今回「仕事」で受けたのではなくてよかった。だからといって手抜きはしていないが、経験不足は否めない。 どくだみ先生からは「なるべく少食にして、脂っこいものはだめ」と釘を刺されているのを幸いにディナーを辞退し帰宅。 ちょっと修練を積んでいい気になっている時、くいくいと伸びたその鼻をへし折るのに通訳というのはとてもよい仕事だ。

今回の通訳で参考にした原発関連のURL : OVNI「フランス全国の19カ所に原子力発電所」: http://www.ilyfunet.com/actualites/on-en-parle/695_centre.html Wikipédia.fr「ANS」 : http://fr.wikipedia.org/wiki/Autorité_de_sûreté_nucléaire IRSN「Accident de Fukushima-Daiichi Bulletin d’information n° 5 du 29 avril 2011」: http://www.irsn.fr/FR/Actualites_presse/Actualites/Documents/IRSN_Residents-Japon_Bulletin5_29042011.pdf Le Monde「Japon」: http://www.lemonde.fr/japon/