interieur interiorisE

 マティスとルオー展。

Matisse Rouault
Matisse Rouault

木曜日に高速バスで長岡まで行ってまいりました。 朝早かったので雨に降られずに済んでよかった。 9時amからオープンはありがたいです。

見終わったころから人が増えてきました。

相変わらずのへそ曲がりっぷりなんですが、マティスとルオーよりも二人の師匠であるギュスターヴ・モローの作品がよかった。

 あれは4年前・・・アイルランドの友達のところに遊びに行って、ロンドン経由で戻ってきたパリ。TGVに乗り遅れ、仕方なく北駅でホテルに泊まることに。 次の日は日曜日なのでお店は開いていないし、ついてないなぁ、と舌打ちしかけて、ふと気が付いたのがその日は第一日曜日だったこと(第一日曜日はすべての美術館・博物館が無料)。

一番近いのが「ギュスターヴ・モロー美術館」だったので、いそいそと9区へ向かったのでした。 出口で教えてもらって、そこから歩いて3分程のle Musée de la Vie romantique(ロマンティック美術館)の特別展を見に行く。

昨日のツキの悪さはこの辺でチャラにできたな~と、鼻歌交じり。でしたが・・・

musee G.moreau
musee G.moreau

G.モロー本人が晩年に自らアトリエを改装して美術館にしたこの建物は殺風景な坂道の途中にあって、広くはないけれど静かな佇まい。螺旋の階段が美しい。

写真はrmnより 壁を覆いつくす様に作品が掛けられていて、本を捲るように額を繰ると次の作品が出てくるわ出てくるわ。全部で6000作品。

次から次へとサロメやらオルフェウスやらジュピターやらが現れるデッサンは4831点もあるそうだ。 神話や聖書の登場人物をモチーフにした絵が多く、細かく描きこまれた独特の陰影は、当時サレ館(ピカソ美術館)にばかり足を向けていた私には重すぎて、

「あー、お好み焼きの後に月餅を3個飲み込んだみたいだ・・・」

とよろよろとツタの絡まるロマンティック美術館へ。

ここでようやく気づいた(遅い)のですが、当方「浪漫」はあんまり得意でなかったんです。

それを、「la Vie romantique」(それもVが大文字)が看板の美術館にのこのこやってくるんだから。 一度行った場所というのは大概覚えているのですが、この「ロマンティック美術館」だけは記憶がありません・・・

無料につられて入って、記憶喪失で出てくるとは失礼な話です。ごめんなさい。

・・・という思い出しかなかったので、恥ずかしながらギュスターヴ・モローという人がEcole des Beaux-Artsでマティスやルオーを教えていたこと、アーティストとしてだけでなく、教師として大変優れていたということも全く知りませんでした(_ _ ;)

今回新潟県立近代美術館で心に残ったのは「エマオでのキリストの十二使徒」 (原題Les Disciples d'Emmaüs) こちら→(Click!)で絵を見ることができます。色があまりよく出てないのが残念。 この情景はルカ伝に書かれている話で・・・

cah3-bk.png

 イエスが磔にあった後、その遺体が墓から消えてしまいます。

残された信者達は途方に暮れ、迫害を恐れエルサレムから脱出しようとします。この絵に描かれている二人の信者もその道中なのですが、そこに復活したイエスがひょっこり現れて「何の話をしているんですか?」と話しかけるんです。

「なんのって、この界隈で何があったか知らないなんて、あんたぐらいだろうな!」

と、何も知らない二人は磔の話をしてあげて、これからを嘆きます。イエスはそれを見て、聖書の話を道中二人に説いて聞かせます。途中の宿で、先を急ぐ風のイエスを引き止めた二人は一緒にテーブルを囲みます。

そこでおもむろにパンを取り祝福を唱えそれを二人に与えたイエスを見て、初めてこの二人はいったい今まで誰に話をしていたのか、ようやく気づくわけです。

しかし・・・ その瞬間にイエスはそこから消えてしまったため、二人はあわててエルサレムの使徒の元へと引き返します。そこで、十一使徒たちの話でイエスがシモンの前にも現れたことがわかるのです・・・

cah3-bk.png

 全体的にぼんやりしていて登場人物の顔もわからないのですが、それでも真ん中にイエスがひょっこり現れて、二人となんのこだわりもなく話している雰囲気がとてもいい。

不安を抱えながらもどこかuniversがほっとしているような、上ったばかりの月明かりに和んでしまいます。

以前は神話にしても聖書にしても、知識がなかったために、モローの絵はどれも「FF(ファイナル・ファンタジー)・・・?」になってしまったのですが、ひとつひとつじっくり見てみると、静かに燃えるような意思がひたひたと揺れているのがわかります。

 ルオーの初期の作品は「レンブラントの再来」と言われ、師匠のモローの言葉に従い内面を描き出す作業に取り組んでいるのがよくわかります。 モローの作品にはどこかに必ずはっとするような小さな「光」が潜んでいるのですが、それはルオーにもマティスにも引き継がれているなーと感じました。

 [La peinture est ] miroir des beautés physiques, réfléchit également les grands élans de l'âme, de l'esprit, du cœur et de l'imagination et répond à ces besoins divins de l'être humain de tous les temps. C'est la langue de Dieu ! Un jour viendra où l'on comprendra l'éloquence de cet art muet ; c'est cette éloquence dont le caractère et la puissance sur l'esprit n'ont pu être défini, à laquelle j'ai donné tous mes soins, tous mes efforts : l'évocation de la pensée par la ligne, l'arabesque et les moyens plastiques, voilà mon but.
(絵画とは) 肉体の美を映し出す鏡であり、同時に魂、精神、こころ、そしてイマジネーションの大いなるほとばしりを反射し、すべての時代の人間に宿る神々しい欲求に応えるものなのだ。これは神のことばなのだよ!いつか人々がこの「無口な芸術」の雄弁さをわかるときが来るだろう。雄弁さ、そこにある霊性の特徴や強さというものは計り知れず、それだからこそ私はそこに私の最大の心配りとあらゆる努力を込めるのだ。線を用いて、アラベスクで、さまざまな造形の手段によって図る思いの喚起、これこそが私の目的なのである。
ギュスターヴ・モローの言葉より

参考: Musée national Gustave Moreau(フランス語) La Bible de Jérusalem, Edition Desclèe De Brouzer, Paris, 1975

 

「無口なアートの雄弁さ」(l'éloquence de cet art muet)、のoxymoreが、フランス語おたく的にはたまりまへん。

nagaoka
nagaoka